練習の記録と弦楽器の音

このごろ、いなばのタイカレー缶にはまっています。

ブームが過ぎ去ったからか、どのお店でも品が揃っていてありがたや。

でも、価格には割と差があるみたい。うちの近所では100円ローソンの105円が最安値のもよう。

(イトーヨーカドー168円、マックスバリュー128円、西友は見ていないけれどたぶんそのくらいだと思う)

日本の一般的なカレーよりもさらさらあっさりめ。香りもスパイスが効いていてオリエンタル。

量もすくなめなので、お茶碗に盛ったごはんにかけるとちょうどいいのです。

常備菜+野菜スープまたはお漬け物を組み合わせて、2日にいっぺんは食べています。うまうま。まだまだ飽きそうにありません。

たぶん6、7種類ほどあるのかな。私はツナのレッドが、夫はチキンのレッドがお気に入り。

(同じレッドでも味は違うみたい。チキンのほうが大人っぽい味です。イエローは若干辛い)

カレーうどんにしてもおいしいと聞いたので、今度、つくってみます。

以下、練習記録。ここ数日、外でお茶を飲むことが多かったので、暇つぶしにつけてみました。


♪日付不明

今日もきこきこ、ヴァイオリン練習。

音階とアルペジオをじっくり弾いて、「バグダッドの酋長2」を軽く。

「夢」と「ブーレ」は時間をかけて。

音符を気にするとスラーを間違えてしまうので、ゆっくり弾きました。

とくに8分音符を2個ずつのスラーでタラタラタラタラタラタラとアップダウンするのが苦手。

該当の小節をいくつか抜きだし、ひたすらタラタラタラタラタラタラ。

あとどのくらい弾いたら慣れるのだろう。


♪2月26日(水曜日)

夜から映画館に行く予定だったので、出かける前にちゃちゃっと練習。

このごろ、ヴァイオリンを弾いていると暑くなってきて、途中で席をたってエアコンを消すこともしばしば。

すこしずつ春が近づいてきているのかな、と思う。

楽器の乾燥を気にしなくてもよい季節の到来は嬉しいけれど、

以前習っていた先生から「ヴァイオリンの音は秋と冬が綺麗ですよ」と聞いたことがあるので(欧州で弾かれてきた楽器なので、からっとした空気が合うのだとか)、ほんのすこしだけ、寂しい気もします。


♪2月27日(木曜日)

「夢」にもだいぶ慣れてきました。

ボウイングに気を配る余裕もちょっぴりでてきて、苦戦していた最後のほうの小節も、8割方は成功するように。

「ブーレ」も混乱せずに弾けるようになってきたけれど、後半、ぽこぽこでてくるファ♭+ミ(変則的にナチュラル)の部分が、油断しているとミ♭に。

こんな時でも、頭と指をぱりっと切り替えられるようになりたいです。

すこしずつ、「ホーム・スィート・ホーム」の練習もはじめています。

短調も大詰め。いよいよみっつめの♭将軍が現る。

ラ♭を弾かなくてはならないと頭では理解しているのに、左指と右手が勝手に開放弦へと動く。

ミ♭の曲を弾きはじめた時にもこんなことをしていたな、私、

今は開放弦をがんがん使っているけれど、この先、短調の曲やポジション移動のある曲が増えたり、(かなり遠い未来になるけれど)ヴィブラートを使うようになったら、開放弦を使う機会も減っていくんだろうな。心細い……。

それから、明日こそ、逃避し続けていた重音の練習をしよう。←毎日同じ決心を固めています。


♪日付不明、ある日の夜

先日、発表会用の曲を探そうと楽譜を収めた棚をあさっていたところ、今はなき雑誌『弦楽ファン』がでてきました。

文字はすくなめでさらっと読めてしまうのだけれど、ヴァイオリン好きな気持ちをくすぐる特集が組まれていたり、カラー写真がふんだんに使われていたり。季節に一度の楽しみでした。

その中にあった、江國香織さんが寄稿された記事が印象的で、今でもふと思いだすことがあります。


著者・江國香織,誌名・弦楽ファン(第3号),発行日・2006年1月14日より

『弦楽器の音のこと』

(略)

 私は普段、仕事中に滅多に音楽を聴かない。たまに聴くが、それはヴォーカルの入っていないものに限られ楽器のすくないものがいい。なかでも弦楽器は要注意、ということになっている。

 琴線に触れる、という言葉が端的に示しているように、弦楽器の音は人の気持ちをかき乱しやすい。不用意に聴くと、いたずらに動揺させられる。

 言葉を使って仕事をしているときに、言葉以外の領域で何かに触れられるのは困るのだ。だからたいていピアノ曲を選ぶ。

 ただし近所で工事をしている場合は別だ、ということを、すこし前に発見した。

(略)

 騒音というほど大きくない工事の雑音によって、弦楽器の持つ緊迫感にちょうどいい風穴があくのだ。たとえば仕事中に(あるいは他の日常の場面で、つまりコンサートホール以外の場所で)聴くには情感の豊かすぎるヨーヨー・マのチェロのアルバムも、真昼の遠い工事の音と重なると、部屋の空気に不思議なあかるさをもたらす。

(略)

 その状況で、いちばん劇的な効果を発揮したのは映画「読書する女」のサウンドトラックCDだった。これはすべてベートーヴェン。八曲中二曲がピアノソナタで一曲が交響曲だが、残る五曲はヴァイオリン曲およびチェロ曲であり、それらの楽器特有の明晰さとふくよかさ(テンポの速いヴァイオリンの音は、ハモニカの音に似てふくよかだ)を持って部屋に満ちる。普通なら、その振幅のいちいちに胸がどきどきしてしまう。それが音楽の魔力なのだから仕方ないといえばないのだが、そこに一たび工事の雑音が加わるとその同じ音楽が、何とも日常的になるのだ。空間が普段着になり肩の力が抜ける感じ。安心して、満ちるに任せておける感じ。


弦楽器はほんとうにそんな音がするな、と思います。

静かに寄り添ってくれるでもなく、むしろ、演奏を聴くにもパワーを要する音。

こころの深層に刺さり、掻き乱す力を持つ音。

優しさも激しさも静けさも宿している弦楽器の音が好きです。

(私がそんな音を出せるようになる日がくるかどうかは、別として)

同じヴァイオリンという楽器でも、1挺1挺、ひとの声ほどに音が異なっているところも好き。

私が持つ楽器も生きているように感じられて嬉しい。

いつか、その声をきちんと引き出せる持ち主になりたいです。